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学んだことをアウトプット

スラム街クラファン企画の炎上を文化人類学の視点から考察してみた

駒場文化人類学の授業で、13回もかけて「文化人類学者が行うフィールドワーク」について学んだ。レポート課題も「人類学的フィールドワークについて思うところを述べよ」というテーマだったので、今回は例のクラファン企画について書いてみたので載せてみる。

(たまには人文科学系の論文を読むのも楽しかった)

 

大学生のクラウドファンディングによるスラムツーリズム企画がSNS上で炎上したことを受けて

事の発端は2018年7月3日、CAMPFIREというクラウドファンディングサイト上で、近畿大学の学生3名が投稿した以下の企画である。

 

   「スラム街の暮らしを肌で感じたい!」。男子学生3人は、こんなタイトルで「CAMPFIRE」のサイト上で、自らのプロジェクトについてアピールした。その呼びかけ文によると、3人は、2018年の夏休みの1週間、マニラのスラム街を訪れて、子供達と交流したいという。「子供達は、外部の人との交流が少なく遊びも限られ毎日単調な日々を過ごしています」として、自分たちが子供達に夢を与えたいとした。具体的には、子供達に日本語や日本の遊びを教えたり、フィリピンの遊びを一緒に行ったりすることを挙げている。(注1)

 

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news.livedoor.com

 

この企画には様々な点から批判される箇所が見出せるが、本エッセイではこのようなボランティア活動やスラムツーリズムと比較することで、人類学的フィールドワークの意義を改めて考えることにする。

 

フィリピンの貧困問題について

まずはフィリピンの貧困問題の実態について知る必要がある。

フィリピン政府は国内の貧困率を下げるために「4Ps」(フィリピン家庭架け橋プログラム)という政策を実施している。子供を学校に通わせたり、定期健診を受けさせたりすることを条件に、貧困家庭に現金を給付することで「人的資本への投資」を促す制度である。しかし実態としては、学校に継続的に通えない事情があったり、学校に通うこと自体が遅れたりすると条件を満たせず、むしろ負担の方が大きくなるため、自主的な受給拒否が問題となっているようだ。 [関 2013]

このようにフィリピン政府の施策では貧困に苦しむ子供たちを救えていないという現実がある。

そこでフィリピン国内のNGOは、子供の就業支援、子供や親への教育、グループホームの運営、食事や衛生面の改善、犯罪組織に対する安全な場の提供、薬物からのリハビリなどの支援を行なっているが、活動の継続には国内外からの支援が必要なようである。日本からは例えば、関西福祉大学が物資の援助や奨学金基金の創設を行なっている。直接現地で支援することも重要だが、日本からの支援の拡充も考えられる。[濱西 2013]

以上のように、すでに現地では様々な施策が行われているが、依然としてフィリピンの貧困問題は解決できていない。とは言え、現在フィリピンはASEAN主要国の中では高い経済成長率を誇っており、労働人口の増加も甚だしく、まさに高度経済成長期の真っ只中にいる。その一方で、農村部や都市部のスラムでは富裕層との経済格差が深刻化しているという状況である。

 

ボランティア、スラムツーリズムの参加者と現地住民の関係

ボランティア活動を行っているNGO/NPO団体についての論文によると、例えば海外ボランティアがベジタリアンの子供に対して「No meat no life」と言って辛い思いをさせたり、挨拶としてのキスによって動揺させたり、裸で水浴びする子供たちの写真を撮ってウェブ上にアップしたりと、異文化に対する理解の乏しさから問題が生じているようである。そのため、海外ボランティアと現地住民の双方に規則を設けて対策をしているようだ。[岸 2014]

ボランティアはその性質上、現地住民の生活に介入しなければならない。そのため、ボランティアをする人間には異文化の理解や相応の良識が求められる。大学が教育目的でボランティア活動を行なわせている場合が多いようだが、事前の研修を入念に行わないと、現地の受け入れ団体の負担が増すばかりで、むしろ逆効果となる場合も考えられる。

ではスラムツーリズムの場合はどうか。一部のメディアや研究者は「貧困を商品化し搾取するもの」と批判しているが、実際の観光客はわざわざ高い旅費を払って学びに行く意識の高い層が多く、決して物見遊山的感覚での参加ではないようだ。また現地住民側としては、彼らを共に地域の問題について考えてくれる「共感者」として見る一方、「一時的なお客さん」としても認識しており、冷静な眼差しを向けているようである。また、ツアー参加者は現地で金を使って経済効果をもたらすとされているが、その効果は非常に限定的である。むしろ問題なのはツアー参加者と現地住民の関係ではなく、メディアや研究者が乏しい実証データで議論していることだ。[矢野 2015]

スラムツーリズムでは参加者はボランティアほどの介入はせず、短期間で現地の実情を見学しに行く、というパッケージツアーである。確かにWeb検索をすると、スラムツーリズムがタブーであるという言説も見かけるし、今回の近畿大学の学生の安易なクラウドファンディング企画も批判されている。しかし、自費でわざわざ参加する旅行者ほど真摯な態度を取り、現地住民もそういった旅行者に対して冷静で友好的な態度を取るようだ。外部の人間からするとフィールドでも現地住民にとってはホームなのだから、謙虚で真摯な姿勢が取れない人間はこのようなツアーに参加してはならないと言える。

 

フィールドワーカーと現地住民の関係

文化人類学者にとってフィールドワークは切っても切れないプロセスだが、それはあくまで調査であって、現地住民に対して何かを与えに行くことが主目的ではない。自身の積極的な介入によってフィールドに影響を与えてしまっては、客観的に「知る」ことが難しくなってしまうからだ。しかし、調査をさせてもらう上で何も還元せずに一方的に居座り続けてしまっても、信頼関係を築けず、重要な情報を住人たちから抽出することが困難になり、調査として質の低いものになってしまうだろう。そこで、フィールドワーカーが現地住民とどのような関わり方をしているのか、以下のような事例を見つけたので紹介する。

まず、発掘調査で現地住民を雇用し、さらに現地に博物館を建設することで継続的な雇用機会を還元しているケースがある。[大貫 2000] このように目に見えて現地に大きな経済的価値を還元できるのは、研究に対する資金が大きい場合に限るようである。

また、新潟県の「角突き」という闘牛の伝統文化を研究していたフィールドワーカーの事例が特に興味深い。震災復興という名目で政府系のコンサルが統合型牛舎を立派に立て直そうと計画し、住民も最初は賛同していたのだが、「角突き」は本来個々の牛舎ごとに違った牛が育つからこそ面白みがあったということを研究者自身が意見し、結局その計画は見直された。さらに、動物愛護管理法の改正により、「角突き」文化の存在が危ぶまれていることを現地住民が知らなかったため、まずはそれを住民に伝え、研究者自身も公式の場で愛護法改正委員会に意見し、伝統文化を守ることができた。[床呂 2015]

このようにフィールドワーカーが介入して現実が変わるのは、あくまで「結果」であって「目的」ではない。本来、フィールドワークを介入のために利用するのは危険だが、これを重々理解した上で、現地の人々が望む現実を「知る」だけでなく、共に「創る」ことは実践として可能であるようだ。

 

結論

現地住民との関わり方について、大学の教育目的としてのボランティアやスラムツーリズムは、短期的かつ異文化理解についてアマチュアである一方、フィールドワーカーは長期的かつ異文化理解のプロである。また、介入を主目的とするボランティアに対し、スラムツーリズムとフィールドワークは介入を第一の目的とせず、「知る」ことから始めている。クラウドファンディング企画で炎上した学生たちは、フィールドを謙虚に「知る」ことより先に、そもそも望まれているのかも分からない彼らの定義上の“夢”を一方的に、かつ一週間という短期間で、しかも上から目線で「与える」という態度を取ってしまったことが失敗の理由ではないだろうか。植民地支配のために利用されていた文化人類学の歴史をその成り立ちから学べば、少なくとも先進国から来た調査者の方が優位で、途上国の被調査者は劣っていて可哀想、という“夢”からは覚めるだろう。

 

参考文献

注1)近畿大生3人「スラム街の暮らしを肌で」企画炎上で大学から指導

livedoorNEWS, 2018年7月5日 (最終閲覧日: 2018年7月7日)

http://news.livedoor.com/article/detail/14967767/

2)関恒樹(2018)「スラムの貧困統治にみる包摂と非包摂」アジア経済,54, 47-80

3)濱西誠司(2013)「フィリピンの貧困およびストリートチルドレンに対するNGOの取り組み」ヒューマンケア研究学会誌, 5, 65-68

4)岸磨貴子、吉田千穂(2014)「海外ボランティアを受け入れるNGO/NPOの動機と受け入れ体制の変化」多文化関係学, 11 ,53-66

5)矢野響子(2015)「住民の視点から見るスラムツーリズム ーフィリピン・パヤタス地区を事例としてー」(未公刊)

6)大貫良夫(2000)『アンデス「夢の風景」』中央公論新社

7)床呂郁哉(編著)(2015)『人はなぜフィールドに行くのか フィールドワークへの誘い』東京外国語大学出版会